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第2章 光と影の間で 第4話

Author: 花宮守
last update Last Updated: 2025-03-11 00:00:01

 次から次へと考えてしまうのは、よほどあの青年が気になるのか……実は私の前に現れた二人目の身内だとでもいうのだろうか。

「生き別れになった双子の片割れ……なんてね」

 思いつきを呟いて、自分で笑ってしまった。双子って、それこそアポロンとアルテミスじゃないんだから。

 途中まで読んだ一冊目の表紙には、ギリシャ神話の太陽神と月の女神が描かれている。二人とも意志が強く、怖いものなどなさそう。今開いているのは、関連することが書かれている別の本。ギリシャ神話の世界を、すべて現実の事象として説明しようと試みている。ページをめくると、鉛筆で直接、細かい字が書き込まれていた。

「あ……また」

 誰かが読んで、考えた足跡。私が今、正に引き込まれた箇所に、私の思考を写し取ったかのような言葉で書かれている。しかも、この字。

「私の字……だよね」

 急いだり夢中になったりすると、細く、小さくなる。前に本を借りた時にも見かけた。その時は、仲のいいいとこ同士なら本の貸し借りをしていても不思議はないよねと、無邪気に思っただけだった。今はそうはいかない。

「おかしいでしょ……」

 ここは晧司さんの別荘で、本は晧司さんの寝室から借りたもの。私の持ち物なら躊躇なく書き込むだろうけど、借りた本にそういうことはしないと思う。せいぜい、付箋を貼るに留めるだろう。

 では、本は私の所有物だったのか? 記憶がなく管理が難しい私の代わりに、晧司さんの部屋に置いてある?

 共同の本棚という可能性もあるけど、それならリビングか、晧司さんの書斎に置くんじゃないだろうか。わざわざ男性の寝室に置き、女の私を出入りさせるのは不自然。

「不自然といえば……」

 あの机。晧司さんには、やはり低いと思う。では……私なら? あの部屋はもともと、私の勉強部屋か何かで……大人になってあまり使わなくなったから、晧司さんが自分のベッドを入れて寝室にしている? それか、私が使わせてもらっているこの部屋が晧司さんの寝室だったけれど、私を静養させるために譲り、自分は隣へ移った。

「部屋が余ってるのに、そこまでする?」

 矛盾点は、すぐに見つかってしまう。使っていない部屋があるのだから、私をそ
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     本をじっくり読むには時間がかかる。私は、気に入った文章を抜き書きしてみたり、感銘を受けた箇所にメモを貼ったりするから、なおさら。自分の本なら直接感想を書き込んでしまいたいくらい、本にのめり込む。一冊の本と、恋をするようにじっくり向き合うのが、天霧鈴という人物の癖らしい。……ううん、私の癖、だよね。  私を天霧鈴だと教えたのは、晧司さん。病院の人にもこの名前で呼ばれたし、保険証などの書類もそうなっていた。  だけど、もしも。病院の人も巻き込んで、私を騙しているとしたら? ミステリーなら、あり得なくはない展開。よほど手が込んでいないと病院の書類なんてごまかせないし、明るみに出たら大騒ぎになると思うけど……私が、何かの事件の被害者で身を隠す必要があるなら、できないことではないのかもしれない。あんな夢も見たことだし……。その場合、私は、騙されているというより、守られていることになる。  この説明で齟齬が生じるのは、晧司さんが最初から私に「リン」と呼びかけていたこと。目覚める前から記憶喪失だと確信していなければ、使えない手だ。  または、よく似た別人。晧司さんの従妹の天霧鈴は別にいるけど行方知れずで――あるいは死んでいて ――私をその人と思い込んでいるか、身代わりにしている。ほかの人に会わせると嘘の世界が壊れるから、会わせないよう閉じ込めた。 「うーん……それだと、七華さんの反応と矛盾する」  私のために見せた涙は、演技にしてはできすぎていた。  考え始めると止まらない。三か月以上、言われるままに受け入れてきたことに、今初めて疑念を抱いている。  私は、どこの誰なのか。  疑いは、歩き始める第一歩。私は今ようやく、自分の頭と心を未来へ向けて動かそうとしている。この探索の旅を、晧司さんは共に歩んでくれるだろうか。それとも、私は栗色の髪のアポロンを頼るのだろうか。

  • 愛は星影に抱かれて   第2章 光と影の間で 第2話

    「お帰り、リン。おや、何かいいことがあったようだね」  玄関に出迎えてくれた晧司さんは、私に手を差し伸べながらそんなことを言った。 「ただいま、晧司さん。特別に何かあったわけじゃないけど……ふふ」  言われてみれば、いいことかな? アポロンでディオニュソスな彼との出会い。風貌からは、絵画などで見る太陽神を連想した。理知的な雰囲気や、ロマンの香りも漂わせている。けれど彼の内面は激情でいっぱい。現実的なあらゆる衝動を、容貌で上手に隠している人。私に、湖の底から水面の光を覗かせてくれた気がする。 「私には内緒か? 寂しいな」 「あとで話しまーす。手を洗ってきますね」  洗面所に向かう私の後ろで、晧司さんと七華さんが話していた。 「誰に会った? 春日が言っていた男か」 「はい、間違いございません。地元の青年で、この辺りを散歩で訪れることがあるとか」 「……ではないのだな?」 「見た限りでは……」  あとの方は、よく聞こえなかった。 二人だけの時間が戻ってきて、私は無性に本を読みたくなった。 「晧司さん、お部屋から本を借りてもいい?」 「ああ、もちろん。取れないのがあれば言いなさい」 「はい」  彼はリビングでお仕事。散歩での出会いのことは、まだ話していない。何となく、もうちょっと、心にしまっておきたい気がして。  彼の寝室は、私の居室の隣。大きな本棚から、好みの本を選んで手に取った。何冊か机に置き、また次のを選ぶ。机も本棚も大きくて、寝室というよりは書斎のよう。けれど書斎は別にある。もとは書斎だったところに、ベッドを入れたかのような違和感。机も、晧司さんには低いんじゃないかな……。椅子で調整しているようだけど。 「これも、そのうちわかるのかな」  違和感を覚えるところには、私の記憶が眠っている。無理に起こすことはせず、自室へ戻った。  運んできたのは、神話を含む、様々な昔話の本。謎の青年がもたらしたのは、説明のつかない温かさだけではなかった。本を読みたい。物凄く読みたい。そこから、私の活動範囲が一気に広がっていく予感がある。今日は朝から調子がよかったからそういう時期にきていたのだろうけど、彼を見て、彼と話して脳が刺激されたことは明らか。  またすぐに会えたらいいなと願う、この気持ちは……恋?

  • 愛は星影に抱かれて   第2章 光と影の間で 第1話

    「先ほど下の方でお見かけしましたが、わざわざこんな上まで何かご用が?」  七華さんに問われ、男性は穏やかに答えた。 「近くに住んでいましてね。湖まではちょうどいい距離なので、時々足を伸ばすんです」  嘘は言っていないように思う。私は、無意識のうちにそう判断した。 「私たちをご存じなんでしょうか。だって、くノ一って」  私の問いに、七華さんがクスッと笑った。男性は、心なしか目が優しくなったような。 「舞台装置に敬意を表したまでですよ。聞き流してください」  笑いを含む落ち着いた声に、気持ちが和む。彼は歩み寄り、私たちに近付いてきたかと思うと、すっと通り越した。靴を履いていることを計算に入れても、やはり晧司さんより背が高い。彼はそれから数メートル進んで立ち止まり、振り返った。 「いつもは湖の反対側を歩いています。今日は新たなルートを開拓しようとこちらへ来てみたんですが、幸運でした」 「どういう意味でしょう」  七華さんの声には、いまだ警戒心がこもっている。春日さんが話していた「若い男」が彼なら、不審者ではないと一度は判断したはずなのに。  七華さん、何を心配しているの? 「美しい女性に山の中で巡り会う。最高の幸運でしょう。あなたがたは、狸にもあやかしにも見えませんしね」 「泥のごちそうを食べさせられることも、生き肝をとられることもなさそうだと?」  昔話の例を出してみると、彼は眩しそうに目を細めた。 「そういうことです。では、いずれまた」  草を踏むかすかな音。背筋をまっすぐに伸ばし、休日を楽しむ青年にしてはややまじめすぎる印象を与えて、曲り道の向こうへと消えていった。  その日、私の心の底に、言葉にならない温かいものが生まれた。

  • 愛は星影に抱かれて   第1章 年の離れた従兄 第10話

     もどかしい。七華さんに、知っていることを全部話してほしいと迫りたくなる。彼女は、話したい気持ちにブレーキをかけてる。私と共有した過去を、声を合わせて笑った時間を、取り戻したいと願っている。  自分の性質が朧気ながら見えてくると、人の性格や心情にも意識が向く。七華さんが詳細を話さないのは、私をがっかりさせないためだろう。過去を情報として提示しても、切れた記憶の糸を本当の意味で修復することにはならない。 「ありがとう、七華さん」  私も、彼女の手をそっと握った。記憶があってもなくても、素敵なお友達。あなたは晧司さんと私の関係を、続くべき、よいものだと思ってくれているのでしょう。例えば一人っ子の晧司さんが、同じく一人っ子の私を妹のようにかわいがってくれて今日まで来た、それでもいい。切れることのない絆が、あの人との間にあるのなら。  晧司さんの指輪の跡が誰との縁なのか、悩むのはやめよう。記憶が戻ればわかることだ。  私は今、大好きな従兄と暮らしている。うん、大好きで、たっぷりと甘えてきたに違いない。甘やかされて、時々叱られて。目を離すと飛んでいってしまう私を、仕方がないなと困り顔で見守る姿が想像できる。  そんな二人だから、彼の恋も私は応援していたはず。その恋が破れた時、私は彼のために泣いたんだろうか。  過去は見えないけど、ここには今と未来がある。 「ねえ、私……もしも一生記憶が戻らないとしても、晧司さんのそばにいたいな」 「リン、様……」 「泣かないで……。ね、私、いていいんですよね。ずっとこのままでも、あの人のそばに。何でもいい、私にできることをしてあげたいの」 「もちろんです、もちろんですとも」  もらい泣きして、涙を拭き合った。  そこへ、晧司さんのものでも、春日さんのものでもない足音がした。神経が鋭敏になっているせいか、もともとそうだったのか、私は足音を聞き分けることができる。七華さんもハッとして、振り向きながら私を後ろへ隠した。 「山奥に、くノ一が二人。時代劇の撮影現場にでも迷い込んでしまったのかな」  現れたのは若い男性。夏の光を自分の身に吸い寄せるかのように堂々とした立ち姿。快活な声は、どこかミステリ

  • 愛は星影に抱かれて   第1章 年の離れた従兄 第9話

     年の離れた従兄の部下である人。彼女と私は、ある程度親しかったことになる。この距離感からして、それこそ姉妹のように。  七華さんがさり気なくちりばめてくれる、記憶のかけら。まだ、つなぎ合わせるほどの数は集まっていない。 「晧司さんが私を山奥に閉じ込めているのは、それが理由なんでしょうか」  私の行動を恐れてのことだとしたら、辻褄は合う。だけど、従兄に過ぎない彼がなぜそこまで。私はこの世に晧司さんしか、血のつながった人間がいないのだろうか。 「『閉じ込めて』ですか……軟禁状態であることは確かですものね」  そう、軟禁状態。木々の緑も夏の花も、鏡のような湖も気持ちがよくて、大自然に囲まれて健やかな気分になる一方で、自分の正体は霧に包まれて見えない。  ひょっとしたら、私は七華さんの同僚? くノ一的な。だとすれば、かくまわれているのも、彼女と親しいことにも納得がいく。記憶さえ戻れば、また晧司さんのために働ける――みんなでそれを待っている、とか?  または……怖い夢が現実だった場合。晧司さんの会社の関係で、何らかの事情があって私が襲われて、罪滅ぼしに大事にされている。この方向は、あまり考えたくはない。ただ、晧司さんの過保護ぶりからいって、相当な目に遭ったのではないかと勘繰ってしまう。「勇敢でまっすぐ」な私が、今はまるで翼を畳んだ鳥のように、彼の腕の中でおとなしく休んでいるんだもの。 「リン様」  七華さんの手が、温かく私の両手を包んだ。つやのある、綺麗な爪。声も微笑みも、思いやりに溢れている。 「大丈夫ですよ。記憶があってもなくても、私たちは絶対にあなたの味方です。ことに社長は……リン様のこととなると極端に走る傾向がありますけど、大切なんです。リン様のことが、何よりも」 「七華さん……」  彼女の、心の奥底まで見通す、それでいて不快ではなく安心できる瞳を、私は確かに知っている。強く励ましてくれた、あれはいつのことだったか――。   ――社長を信じてあげてください。 ああ、またひとつ、記憶のかけら。

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